2008年7月3日木曜日

ベルばら


西アフリカ仏語圏では結構どこでもCanal Satというフランスの衛星放送を比較的安く受信できます。最近はADSL回線を経由したOrangeBoxもありますが値段的には同じくらいです。その一番安い契約プランにはTF1とFrance 2の一般地上波放送に加え、iTeleやFrance24、それにRTL9なんかのチャンネル、そしてMangasというアニメ専門チャンネルも含まれています。昨日、このチャンネルでベルばら(仏語ではなぜかLady Oscarというタイトル)の最終回だったので見ていたのですが、これが日本語版とかなり内容が違うのです。最終回ともなれば見所満載、印象に残るシーンいっぱいなのでそこのところをフランスではどう言うのか気になるところですが・・・
まず、バスチーユ襲撃の中でのオスカルの死ぬシーン、日本語では「アディーユ(Sic)」と言ってオスカルは死にます。でも仏語版ではアンドレの名をつぶやいて死にます。そして、ここからが問題なのですが、バスチーユ襲撃のあと、田舎(アラス?)で畑を耕しているアランのところにベルナール・シャトレとロザリーが訪ねていき、バスチーユ後のフランス革命を回想の形で駆け足でたどる部分です。
まず、例の有名な「パンがなければお菓子を食べればいいのに」とマリーアントワネットが言ったことに抗議する女たちがベルサイユにデモするところで、このフレーズはカットされています。これは、後にアントワネットがそう言ったのではなく、ジャンジャックルソーの「告白」の中にそれに似た記述があることからそれが誤って解釈されたということが定説になっているからのようです。
また、ルイ16世の裁判のシーンでサンジュストとロベスピエールの演説の内容がかなりソフトなものになっているようです。ベルばらでサンジュストは冷酷なテロリストとして描かれていますがフランス人は別の印象を持っているのかもしれません。さらに難しいのがロベスピエールの扱いです。フランス人のロベスピエールに対する感情は複雑きわまりないものがあるのだと思います。それは、有名な人権宣言を創案したのが他ならぬロベスピエールであること、しかし恐怖政治を行ったのもロベスピエールであることを考えると想像がつきます。しかし、ベルばらのこのあたりのくだりはあまりにも省略されていて、ブイエの名前は出てくるのに、もっと重要な鍵を握っていたラファイエットは名前すら出てこないし、他のフランス革命の英雄、ダントンだとかマラーだとかも登場しません。
日本語版のルイ裁判でのロベスピエールの演説は荒すぎる抜粋だとはいえ、彼の言葉を使っているのになぜそのままフランス語にしなかったのか、興味があったのでこの演説の全文をざっと読んでみました。実はロベスピエールは1792年の12/3と12/28に2回演説を行っているのですが、ベルばらで取り上げているのはこのうち12/3の演説だと思います。ベルばらの仏語版がどの部分を使ったのか思い出せないので、検証はできないのですが、この演説でロベスピエールが言いたいことというのはルイの生死ではなく生まれたばかりの共和国という概念についての国民に対する熱い啓蒙だったのではないか・・・という気がしてなりません。
また、最後にアントワネットがロザリーに託した白いバラのエピソードですが、日本語版ではこのバラは化粧紙で作られたことになっており、アントワネットはこれにオスカルの好きだった色をつけてくれとロザリーに頼むのです。そして、ロザリーはそれがわからないのでわざわざアランを訪ねてオスカルの好きだったバラの色を尋ね、アランは「オスカルは知らないけど、アンドレなら白がいいと言うと思う」と伝えるところでエンド(Fin)となります。しかし仏語版ではこのバラは絹の布切れで作られていることになっていて、「絹の花は枯れない」ということをオスカルとアンドレの不滅の物語に重ね合わせることでエンド、としているのです。

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